延喜式神名帳 丹後国65座 熊野郡十一座 熊野神社(現・熊野新宮神社)クマノジンジャ
式内社熊野神社には、(a)熊野神社・(b)熊野若宮三神社・(c)熊野新宮神社の三社が比定されており、いづれも久美浜町に鎮座している。本稿は(c)である。古来より熊野新宮神社と称してきたが、江戸時代には熊野三社權現と称した時代もあると云う。所在について異説は無いとある。創建勧請の時代はわからない。とあり、『久美濱町誌』は「式内の古社で靈験最も著しく、明治八年社殿再建に際し、久美濱代官所に差し出した芝居興行の願書によれば、普請祭禮の入用なども往古は郡割であったことがわかる。」とある。古文書が乏しいため由緒を證するものはないが、この神社の靈験著しい事件を記す。氏子の中に綱家があり、嘉永元年(1848)八月十九日同家の藤右衛門が氏神附近の山仕事中氏神の新宮が現はれ、これから諸社巡拝に行くところであるからお前も一緒に連れて行ってやらうと云はれ御供をした。それから三日目の晝前歸つてきた。そして明年この日再び連れて行くと神様が云はれた。翌年八月十九日、萬一のことを案じて、家人が付添って目を離さなかったのに、ふとその姿が見えなくなった。そこで家人が氏神様に参拝して見ると、三日乃至三年間藤右衛門を借受けると書いた文書が竹に挟んであった。そして三日たってふと歸宅したのである。ところが今回は神社沸閣巡拝記といふものを持歸り、記事中拝戴した品目が記され、その他各社の守札、菓子の包紙、神の眞筆の御神號、筆、麻製口覆い、淨衣とも見られる麻製糸針金で縫った装束様のものなどが残されてをり、遺物は毎年氏神の例祭日又は正月十五日に限り一般に見せているが、今日でも毎回多くの人が参観している(この事件の詳しい顛末を筆録した冊子が京都府舞鶴市立圖書館糸井文庫に保管されている。)と云う。
祭神:事解男命/速玉男命
所在:京都府京丹後市久美浜町河梨
撮影時の境内の音を録音しております。イヤホン推奨
2026年5月撮影
延喜式神名帳 丹後国65座 熊野郡十一座 熊野神社(現・熊野新宮神社)クマノジンジャ
式内社熊野神社には、(a)熊野神社・(b)熊野若宮三神社・(c)熊野新宮神社の三社が比定されており、いづれも久美浜町に鎮座している。本稿は(c)である。古来より熊野新宮神社と称してきたが、江戸時代には熊野三社權現と称した時代もあると云う。所在について異説は無いとある。創建勧請の時代はわからない。とあり、『久美濱町誌』は「式内の古社で靈験最も著しく、明治八年社殿再建に際し、久美濱代官所に差し出した芝居興行の願書によれば、普請祭禮の入用なども往古は郡割であったことがわかる。」とある。古文書が乏しいため由緒を證するものはないが、この神社の靈験著しい事件を記す。氏子の中に綱家があり、嘉永元年(1848)八月十九日同家の藤右衛門が氏神附近の山仕事中氏神の新宮が現はれ、これから諸社巡拝に行くところであるからお前も一緒に連れて行ってやらうと云はれ御供をした。それから三日目の晝前歸つてきた。そして明年この日再び連れて行くと神様が云はれた。翌年八月十九日、萬一のことを案じて、家人が付添って目を離さなかったのに、ふとその姿が見えなくなった。そこで家人が氏神様に参拝して見ると、三日乃至三年間藤右衛門を借受けると書いた文書が竹に挟んであった。そして三日たってふと歸宅したのである。ところが今回は神社沸閣巡拝記といふものを持歸り、記事中拝戴した品目が記され、その他各社の守札、菓子の包紙、神の眞筆の御神號、筆、麻製口覆い、淨衣とも見られる麻製糸針金で縫った装束様のものなどが残されてをり、遺物は毎年氏神の例祭日又は正月十五日に限り一般に見せているが、今日でも毎回多くの人が参観している(この事件の詳しい顛末を筆録した冊子が京都府舞鶴市立圖書館糸井文庫に保管されている。)と云う。
祭神:事解男命/速玉男命
所在:京都府京丹後市久美浜町河梨
撮影時の境内の音を録音しております。イヤホン推奨
2026年5月撮影