天正13年(1585)11月13日、徳川家の重臣・石川数正が、家康のもとを去り、秀吉に寝返りました。
数正が抜けた冬、家康の5か国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)は、誰が、どの城で守っていたのか。徳川家臣団の配置を、城と城主・城代まで1枚の地図にしました。
■ チャプター
0:00 はじめに
1:00 全図(秀吉方と、徳川の5か国)
1:33 三河(岡崎城の石川数正と、吉田城の酒井忠次)
3:22 遠江と駿河(浜松城・掛川・駿府・北条との境)
4:44 甲斐(甲府の平岩親吉・郡内の鳥居元忠・真田の沼田)
5:51 信濃(国衆と上田合戦・木曾・小笠原)
7:42 旗本(本多忠勝・榊原康政・井伊直政)
8:38 数正が去った冬(出奔・小笠原の寝返り・天正地震)
10:54 結び(まとめと次回)
■ 地図の見方
色:緑=徳川と家臣の城の国/淡い緑=信濃の国衆(徳川方)/紫=同盟(北条)/茶=敵(真田・上杉)/朱=秀吉方(秀吉に従う大名の国。木曾、出奔のあとの小笠原も)/灰色=そのほかの勢力
郡の境は、1920年(大正9年)の郡で近づけたものです(明治の郡の統合を含むため、天正の郡と同じではありません)。三河の碧海郡は郡ごと徳川の色にしていますが、西の端の刈谷は水野忠重(秀吉方)の城です。郡より小さい領地は色分けしていません。
■ この動画について
・家康の5か国はどれくらいの大きさだったか(石高の目安):のちの検地の数字で数えると約118万石。秀吉の弟・秀長の3か国(約83万石)より大きい
・三河の2つの組:西三河の旗頭=岡崎城代の石川数正、東三河の旗頭=吉田城代の酒井忠次。これに旗本を合わせた3つの組
・西の境の向こう:尾張の織田信雄、刈谷の水野忠重(家康の叔父)、美濃の池田輝政・森忠政はみな秀吉方
・遠江と駿河:浜松城(本拠)、掛川城の石川家成・康通(数正の一族)、横須賀城の大須賀康高、駿府城の築き直し、田中城の高力清長、沼津(三枚橋城)の松平康重と北条との境
・甲斐:甲府の平岩親吉(郡代)、郡内(谷村城)の鳥居元忠、河内の穴山家。北条との和睦で上野は北条とされたが、沼田を持つ真田昌幸は渡さなかった(上田合戦の火種)
・信濃:小諸の依田康国(大久保忠世が後見)、諏訪の諏訪頼忠、高遠の保科正直、知久平城の菅沼定利(一族が武田についたときも家康に仕え続けた人。木曾義昌が秀吉方に寝返ったあと伊那郡のまとめを任された)。上田の真田昌幸、北の上杉、木曾谷の木曾義昌(小牧・長久手のとき徳川から秀吉方へ)、深志の小笠原貞慶
・旗本の本多忠勝・榊原康政・赤備えの井伊直政(のちの徳川四天王)
・数正の出奔のあと:人質の秀政を連れて去った数正に続く小笠原の寝返り、岡崎城代に本多重次、信濃からの引き揚げ、城の普請、天正地震と秀吉の家康攻めの中止
■ 数字について
動画の数字は、よく伝わっているもの(通説)か、第1回と同じ数え方で出した目安です。
・上田城を攻めた徳川の軍:約7000(ウィキペディア「上田合戦」「真田昌幸」。伝わる数字です)
この頃の徳川領は、家臣の知行を石高ではなく貫高(貫文)で表していたため、武将ごとの石高は載せていません。よく知られた井伊直政12万石などは、天正18年(1590)の関東移封のときの数字です。
・家康の5か国 約118万石(目安):第1回と同じ数え方で、慶長3年(1598)の国ごとの検地高を郡の平地の広さで割り振り、三河・遠江・駿河・甲斐と、信濃の徳川方の郡(佐久・諏訪・伊那と、小笠原の筑摩・安曇)を足しました。小笠原が離れたあとは約108万石、秀長の3か国は同じ数え方で約83万石です
・天正18年(1590)の関東移封で与えられた石高:井伊直政 12万石、本多忠勝・榊原康政 10万石(ウィキペディア「徳川四天王」)
・関東移封のあとの家康の領地:約250万石(野田市の資料では255万石)
■ 同じ天正13年の、秀吉方の配置
第1回「秀長が大和に入った年の大名配置図|「豊臣兄弟!」天正13年の四国攻めと国分け」
秀長が大和に入った年の大名配置図|「豊臣兄弟!」天正13年の四国攻めと国分け
■ 出典
・地形(標高):Copernicus DEM(GLO-30・GLO-90)を加工して作成
produced using Copernicus WorldDEM-30 © DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA; all rights reserved
produced using Copernicus WorldDEM-90 © DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA; all rights reserved
・郡境:『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(CC BY 4.0)を加工(1920年の郡で近似)。元データは国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」(大正9年)
・暦(日付と西暦):ウィキペディア「天正」「小牧・長久手の戦い」
・石川数正:コトバンク「石川数正」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典・日本人名大辞典)https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E5...
・貫高:コトバンク「貫高」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・百科事典マイペディアほか)https://kotobank.jp/word/%E8%B2%AB%E9...
・この頃の徳川領が貫高だったこと:佐久市の文化財資料「山宮家中世文書」(天正17年に依田康国が出した知行の書状が貫文で書かれている)https://www.city.saku.nagano.jp/bunka...
・関東移封のあとの家康の領地:野田市の資料「徳川家康の関東入国と野田市域」https://www.city.noda.chiba.jp/_res/p...
・人物・合戦・城:日本語版ウィキペディアの次の項目
合戦と出来事:小牧・長久手の戦い・上田合戦・天正壬午の乱・徳川四天王
人物:徳川家康・結城秀康・織田信雄・石川数正・酒井忠次・本多重次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政・鳥居元忠・平岩親吉・大久保忠世・石川家成・石川康通・大須賀康高・高力清長・松平康重・奥平信昌・本多広孝・松平康長・牧野康成 (大胡藩主)・菅沼定盈・松平家忠・武田信治・岡部長盛・土岐定政・柴田康忠・本多正信・依田康国・保科正直・諏訪頼忠・菅沼定利・小笠原貞慶・真田昌幸・上杉景勝・木曾義昌・北条氏直・水野忠重
城:岡崎城・吉田城 (三河国)・新城城・田原城 (三河国)・二連木城・牛久保城・刈谷城・浜松城・掛川城・横須賀城・二俣城・駿府城・田中城・三枚橋城・興国寺城・江尻城・躑躅ヶ崎館・谷村城・小諸城・高島城・高遠城・知久平城・飯田城 (信濃国)・松本城・上田城・沼田城・松代城・福島城 (信濃国)・清洲城・大垣城・小田原城
#豊臣兄弟 #徳川家康 #石川数正 #徳川四天王 #戦国時代 #日本史
天正13年(1585)11月13日、徳川家の重臣・石川数正が、家康のもとを去り、秀吉に寝返りました。
数正が抜けた冬、家康の5か国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)は、誰が、どの城で守っていたのか。徳川家臣団の配置を、城と城主・城代まで1枚の地図にしました。
■ チャプター
0:00 はじめに
1:00 全図(秀吉方と、徳川の5か国)
1:33 三河(岡崎城の石川数正と、吉田城の酒井忠次)
3:22 遠江と駿河(浜松城・掛川・駿府・北条との境)
4:44 甲斐(甲府の平岩親吉・郡内の鳥居元忠・真田の沼田)
5:51 信濃(国衆と上田合戦・木曾・小笠原)
7:42 旗本(本多忠勝・榊原康政・井伊直政)
8:38 数正が去った冬(出奔・小笠原の寝返り・天正地震)
10:54 結び(まとめと次回)
■ 地図の見方
色:緑=徳川と家臣の城の国/淡い緑=信濃の国衆(徳川方)/紫=同盟(北条)/茶=敵(真田・上杉)/朱=秀吉方(秀吉に従う大名の国。木曾、出奔のあとの小笠原も)/灰色=そのほかの勢力
郡の境は、1920年(大正9年)の郡で近づけたものです(明治の郡の統合を含むため、天正の郡と同じではありません)。三河の碧海郡は郡ごと徳川の色にしていますが、西の端の刈谷は水野忠重(秀吉方)の城です。郡より小さい領地は色分けしていません。
■ この動画について
・家康の5か国はどれくらいの大きさだったか(石高の目安):のちの検地の数字で数えると約118万石。秀吉の弟・秀長の3か国(約83万石)より大きい
・三河の2つの組:西三河の旗頭=岡崎城代の石川数正、東三河の旗頭=吉田城代の酒井忠次。これに旗本を合わせた3つの組
・西の境の向こう:尾張の織田信雄、刈谷の水野忠重(家康の叔父)、美濃の池田輝政・森忠政はみな秀吉方
・遠江と駿河:浜松城(本拠)、掛川城の石川家成・康通(数正の一族)、横須賀城の大須賀康高、駿府城の築き直し、田中城の高力清長、沼津(三枚橋城)の松平康重と北条との境
・甲斐:甲府の平岩親吉(郡代)、郡内(谷村城)の鳥居元忠、河内の穴山家。北条との和睦で上野は北条とされたが、沼田を持つ真田昌幸は渡さなかった(上田合戦の火種)
・信濃:小諸の依田康国(大久保忠世が後見)、諏訪の諏訪頼忠、高遠の保科正直、知久平城の菅沼定利(一族が武田についたときも家康に仕え続けた人。木曾義昌が秀吉方に寝返ったあと伊那郡のまとめを任された)。上田の真田昌幸、北の上杉、木曾谷の木曾義昌(小牧・長久手のとき徳川から秀吉方へ)、深志の小笠原貞慶
・旗本の本多忠勝・榊原康政・赤備えの井伊直政(のちの徳川四天王)
・数正の出奔のあと:人質の秀政を連れて去った数正に続く小笠原の寝返り、岡崎城代に本多重次、信濃からの引き揚げ、城の普請、天正地震と秀吉の家康攻めの中止
■ 数字について
動画の数字は、よく伝わっているもの(通説)か、第1回と同じ数え方で出した目安です。
・上田城を攻めた徳川の軍:約7000(ウィキペディア「上田合戦」「真田昌幸」。伝わる数字です)
この頃の徳川領は、家臣の知行を石高ではなく貫高(貫文)で表していたため、武将ごとの石高は載せていません。よく知られた井伊直政12万石などは、天正18年(1590)の関東移封のときの数字です。
・家康の5か国 約118万石(目安):第1回と同じ数え方で、慶長3年(1598)の国ごとの検地高を郡の平地の広さで割り振り、三河・遠江・駿河・甲斐と、信濃の徳川方の郡(佐久・諏訪・伊那と、小笠原の筑摩・安曇)を足しました。小笠原が離れたあとは約108万石、秀長の3か国は同じ数え方で約83万石です
・天正18年(1590)の関東移封で与えられた石高:井伊直政 12万石、本多忠勝・榊原康政 10万石(ウィキペディア「徳川四天王」)
・関東移封のあとの家康の領地:約250万石(野田市の資料では255万石)
■ 同じ天正13年の、秀吉方の配置
第1回「秀長が大和に入った年の大名配置図|「豊臣兄弟!」天正13年の四国攻めと国分け」
秀長が大和に入った年の大名配置図|「豊臣兄弟!」天正13年の四国攻めと国分け
■ 出典
・地形(標高):Copernicus DEM(GLO-30・GLO-90)を加工して作成
produced using Copernicus WorldDEM-30 © DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA; all rights reserved
produced using Copernicus WorldDEM-90 © DLR e.V. 2010-2014 and © Airbus Defence and Space GmbH 2014-2018 provided under COPERNICUS by the European Union and ESA; all rights reserved
・郡境:『歴史的行政区域データセットβ版』(CODH作成)doi:10.20676/00000447(CC BY 4.0)を加工(1920年の郡で近似)。元データは国土交通省「国土数値情報(行政区域データ)」(大正9年)
・暦(日付と西暦):ウィキペディア「天正」「小牧・長久手の戦い」
・石川数正:コトバンク「石川数正」(日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典・日本人名大辞典)https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E5...
・貫高:コトバンク「貫高」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・百科事典マイペディアほか)https://kotobank.jp/word/%E8%B2%AB%E9...
・この頃の徳川領が貫高だったこと:佐久市の文化財資料「山宮家中世文書」(天正17年に依田康国が出した知行の書状が貫文で書かれている)https://www.city.saku.nagano.jp/bunka...
・関東移封のあとの家康の領地:野田市の資料「徳川家康の関東入国と野田市域」https://www.city.noda.chiba.jp/_res/p...
・人物・合戦・城:日本語版ウィキペディアの次の項目
合戦と出来事:小牧・長久手の戦い・上田合戦・天正壬午の乱・徳川四天王
人物:徳川家康・結城秀康・織田信雄・石川数正・酒井忠次・本多重次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政・鳥居元忠・平岩親吉・大久保忠世・石川家成・石川康通・大須賀康高・高力清長・松平康重・奥平信昌・本多広孝・松平康長・牧野康成 (大胡藩主)・菅沼定盈・松平家忠・武田信治・岡部長盛・土岐定政・柴田康忠・本多正信・依田康国・保科正直・諏訪頼忠・菅沼定利・小笠原貞慶・真田昌幸・上杉景勝・木曾義昌・北条氏直・水野忠重
城:岡崎城・吉田城 (三河国)・新城城・田原城 (三河国)・二連木城・牛久保城・刈谷城・浜松城・掛川城・横須賀城・二俣城・駿府城・田中城・三枚橋城・興国寺城・江尻城・躑躅ヶ崎館・谷村城・小諸城・高島城・高遠城・知久平城・飯田城 (信濃国)・松本城・上田城・沼田城・松代城・福島城 (信濃国)・清洲城・大垣城・小田原城
#豊臣兄弟 #徳川家康 #石川数正 #徳川四天王 #戦国時代 #日本史