【増位山太志郎】史上初の親子大関は、たった7場所 ―「俺なんかの大関は、本当に引っかかった大関」

相撲伝説と闇

相撲伝説と闇

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「ここで許されないなら、他の部屋に入る!——」
それは、大関の息子が実の父に突きつけた、宣戦布告だった。
1948年(昭和23年)11月16日、東京・三保ヶ関部屋—— 土俵の砂の匂いと力士たちの熱気に包まれた相撲部屋の中で、一人の男の子が産声を上げた。 本名・澤田昇(さわだ のぼる)。 父は、現役バリバリの大関・初代増位山大志郎——後の名伯楽・9代三保ヶ関親方である。 生まれも育ちも東京でありながら、番付の出身地は父と同じ**「兵庫県姫路市」。 彼は文字通り、"相撲部屋で生まれ、相撲部屋で育った"**サラブレッドだった。
やがてこの少年は、史上初の「親子大関」となり、 そして力士でありながらミリオンセラーを放つ"歌う関取"として、 大相撲史にも歌謡史にも名を刻む唯一無二の存在となる——。 だがその陰には、「大関の息子」という重すぎる宿命と、 父であり師匠である男との、壮絶な葛藤が横たわっていた。
少年時代の昇は、相撲が好きで好きでたまらなかった。 小学生の頃から、父が再興した三保ヶ関部屋の大部屋に入り浸り、 力士たちの稽古を眺め、ちゃんこの匂いに包まれて育った。 「いつか自分も、あの土俵に立ちたい」——憧れは、日に日に膨らんでいく。
しかし、通った学校は名門・日大一中、日大一高。 そこで打ち込んだのは、意外にも水泳(競泳)だった。 その実力は本物で、なんとインターハイ出場を果たすほど。 恵まれた肩幅と柔軟な身体——後の"技能派力士"の素地は、プールで培われていた。
だが、心はずっと土俵にあった。 中学2年のとき、昇は意を決して父に告げる——「力士になりたい。入門させてください」 返ってきた答えは、「ならん」。 大関まで上り詰めた父は、誰よりもこの世界の厳しさを知っていた。 「大関の息子」という看板が、どれほど重いか。 親の七光りと言われ、比較され、潰されていった二世力士を、父は何人も見てきた。
それでも、昇は引かなかった。 「ここで許されないなら、他の部屋に入る!」 ——実の息子が、よその部屋から自分に挑んでくる。 その覚悟を突きつけられた父は、ついに折れた。
1967年(昭和42年)1月場所——四股名「瑞竜(ずいりゅう)」で初土俵。 18歳の昇は、父が師匠を務める三保ヶ関部屋の力士となった。 そして、この同じ場所で初土俵を踏んだ、もう一人の少年がいた—— 北海道壮瞥町から来た13歳の怪童、北の湖敏満。 後の史上最年少横綱と、大関の息子。 同期入門の二人は、同じ釜の飯を食い、同じ土俵で汗を流しながら、 まったく異なる道のりで頂点を目指していくことになる。
しかし、現実は残酷だった。 弟弟子・北の湖は、猛烈なスピードで番付を駆け上がっていく。 一方の瑞竜は、細身の身体と怪我に苦しみ、出世は遅々として進まない。 1969年、ようやく新十両昇進——このとき父・三保ヶ関は数え50歳。 だが驚くべきことに、稽古場で相撲を取ると、50歳の父に技術でも力でも敵わなかったという。 「大関の息子」は、まだ父の背中すら見えていなかった。
四股名を父と同じ**「増位山」に改め、彼は自らの道を模索し始める。 体重に恵まれない分、内掛け・外掛け・切り返しなどの多彩な足技、 そして絶妙な上手投げ**——"技のデパート"と呼ばれる玄人好みの相撲を磨き上げていく。
そして1974年——彼の人生を変える、もう一つの扉が開く。 現役力士のまま吹き込んだ一曲、「そんな夕子にほれました」。 甘く艶のある歌声は瞬く間に評判を呼び、大ヒットを記録。 土俵の上では技能派関取、マイクを握れば人気歌手—— **"歌う関取・増位山"**の伝説が、ここから始まった。
だが、本当の物語はまだ序章に過ぎない。 31歳・年齢的限界との闘い、18連敗中だった天敵・輪島への挑戦、 **史上初の「親子大関」**という悲願、 そして弟弟子・北の湖との師弟を超えた絆—— 「大関の息子」が「大関の父を持つ大関」になるまでの道のりは、次回。
このエピソードでは、増位山太志郎の「原点」——相撲部屋での誕生から、父との対立、北の湖との同期入門、そして"歌う関取"誕生前夜までを、資料と証言をもとに紐解いていきます。
▼このエピソードで語られる内容 ・1948年、三保ヶ関部屋で生まれた大関の息子 ・番付出身地が「兵庫県姫路市」の理由 ・力士に囲まれて育った少年時代 ・日大一中・一高、インターハイ出場の水泳少年 ・中学2年、入門志願と父の拒絶 ・「他の部屋に入る!」——父を折れさせた覚悟 ・1967年1月、四股名「瑞竜」で初土俵 ・北の湖との運命の同期入門 ・弟弟子に追い抜かれる屈辱の日々 ・50歳の父に稽古で敵わなかった衝撃 ・「増位山」襲名——父の名を継ぐ重圧 ・"技のデパート"——足技と上手投げの技能相撲 ・1974年「そんな夕子にほれました」大ヒット ・現役力士×人気歌手という前代未聞の二刀流
この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの第1回です。
▼次回予告:ep2「31歳の大関昇進——史上初の親子大関と、ミリオンセラー『そんな女のひとりごと』の栄光」
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【最優先1a】増位山太志郎 - Wikipedia(日本語版)
増位山大志郎 - Wikipedia(日本語版)(父・初代増位山/9代三保ヶ関の項)
日本経済新聞「増位山太志郎氏が死去 元大関2代目増位山、歌手でも活躍」(2025年6月、訃報記事)
コトバンク(講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)「増位山太志郎(ますいやま だいしろう)」
Weblio辞書(大相撲力士データベース)「増位山太志郎とは」
北の湖敏満 - Wikipedia(日本語版)(三保ヶ関部屋・同期入門の項)
日本相撲協会 公式サイト「歴代大関一覧」
大相撲観戦ガイド「【力士名鑑】増位山 太志郎【大関・三保ヶ関部屋・兵庫県】」
ベースボール・マガジン社『歴代大関大全』「増位山太志郎」
相撲データベース SumoDB「大関 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう)」全取組・対戦成績データ
※本動画は上記の公式資料・報道記事・専門書に基づき、故人と関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。

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