織田信長の歴史が全てわかるまとめ【戦国時代】【本能寺の変】【豊臣兄弟】

フクラテスのつながる歴史まとめ館

フクラテスのつながる歴史まとめ館

2,070 views

この1本で、『織田信長』の47年と死後の440年が一本の線でつながります。
守護代の家来の家に生まれた三男が日本の三分の一を取り、家臣に討たれ、死んだあとに「残忍」「神」「革新者」「魔王」と作り替えられるまでを65分にまとめました。

学校の歴史で挫折した人、大河『豊臣兄弟!』の信長をもっと知りたい人、作業用・寝る前のBGMにもどうぞ。

▼ 関連動画
・戦国時代まとめ
【戦国時代】これ1本で流れが全てわかる『戦国時代』の歴史まとめ【日本史】【豊臣秀吉】

・豊臣秀吉まとめ
豊臣秀吉の歴史が全てわかるまとめ【安土桃山時代】【戦国時代】【豊臣兄弟】

・関ヶ原まとめ
【戦国時代】関ヶ原の戦いのまとめ【徳川家康】【石田三成】【大坂夏の陣】【大坂冬の陣】

・三国志まとめ
【三国志】これ1本で流れが全てわかる『三国志』の歴史まとめ【中国史】【曹操・劉備・孫権】

・坂本龍馬まとめ
【坂本龍馬】これ1本で流れが全てわかる『坂本龍馬』まとめ【幕末】【薩長同盟】【海援隊...

・江戸時代まとめ
【江戸時代】これ1本で流れが全てわかる『江戸時代』の歴史まとめ【日本史】【徳川家康】

・幕末まとめ
【幕末】これ1本で流れが全てわかる『幕末』の歴史まとめ【幕末】【江戸時代】【坂本龍馬...

・明治まとめ
【明治】これ1本で流れが全てわかる『明治』の歴史まとめ【明治】【日清戦争】【日露戦争...

・キングダムまとめ
【キングダム】これ1本で流れが全てわかる『キングダム』の歴史まとめ【中国史】【李信】...

・お金の歴史まとめ
これ1本で流れが全てわかる『お金』の歴史まとめ


▼ この動画の問い
裏切った弟を許した男が、なぜ「残酷」「魔王」と呼ばれ続けるのか?

▼ 目次

0:00 オープニング
0:55 【第1章】最初の敵は、弟だった
9:02 【第2章】正面に出たら、本陣だった
16:24 【第3章】担いだ将軍の、手足を縛る
22:28 【第4章】返事をしない山を、焼く
28:58 【第5章】将軍を追い、首を飾り、町を焼く
36:20 【第6章】千挺と書いた男、三十年の古参を切る
45:18 【第7章】いちばん信じた家臣に、一度目で
56:22 【第8章】信長が「信長」になるまで
1:04:16 【まとめ】

▼ この動画で扱う織田信長の47年と死後の440年の細かい年表

1534『誕生』尾張の守護代の家来の家の三男。家格では上に行けない家に生まれる

1543『父の4000貫』父・信秀が朝廷の御所の修理に銭を出して位を買う。同じ年、種子島に鉄砲が来る

1552『父の死・家督』17歳。葬儀で抹香を投げ、家中は「作法正しい弟」を担ぐ側と割れる

1553『道三が見に来た』舅の斎藤道三が「たわけ」を物陰から覗き、「わしの息子はこの男の家来になる」と言ったと伝わる

1555『清洲の城を取る』叔父と組んで主人の家の清洲の織田を殺し、清洲城へ。翌年、舅の道三が息子に討たれて後ろ盾が消える

1556『稲生の戦い』弟・信勝を担いだ家中の半分と戦って勝つ。母の仲介で弟を許す(一度目=戻る道)

1557『弟を殺す』また背いた弟を、仮病の見舞いに呼んで殺す(二度目=線)

1560『桶狭間の戦い』10倍の今川義元に、正面に出たら本陣だった。迂回奇襲は後の本の話

1561〜67『美濃を7年で取る』東は家康と組み、小牧山から北へ。西美濃の三人が寝返って稲葉山が落ち、岐阜と名づける。「天下布武」の印

1568『将軍を担いで都へ』足利義昭を担いで入京。「御父」と呼ばれ、官職を断って堺に2万貫を求める

1570『条書』将軍の手紙に信長の添え状が要る紙に判を押させる。担いだ側が判を握った

1570『金ヶ崎・姉川』妹お市の夫・浅井長政に背中を刺され逃げ帰る。姉川で破るが滅ぼせず、四方が敵になる

1570『比叡山への通告』「味方か、中立か、敵か。中立でもよい」に返事が無い。冬に講和(浅井への戻る道)

1571『比叡山を焼く』返事をしなかった山を焼く。規模は発掘で見直されているが、焼いたことと首を斬ったことは記録どおり

1573『信玄の死・将軍の追放』東の柱が消え、二度背いた将軍を追い、元号を天正に。浅井・朝倉を滅ぼす

1574『正月の宴』三人の首を漆と金粉で飾って肴にした。盃にして飲んだ、は後の作り話

1574〜75『長島・越前』降伏して船で出た門徒を撃ち、男女二万を焼く。この動画でいちばん血が流れる所

1575『長篠の戦い』柵と地形と退路を断って勝つ。『信長公記』の自筆本は「千挺ばかり」。三段撃ちは後の本

1576『安土城』琵琶湖のほとりに五重の天主。城の中に寺と、天皇を迎える想定の御殿

1578〜80『荒木村重』摂津を任せた重臣が背く。考え直せと使いを出し、返事が無く、城に残された一族と家臣の妻子ら約670人を処刑

1580『折檻状』三十年の古参・佐久間信盛に十九か条。「刀根坂で口答えした」。同じ紙で光秀を「天下の面目」と褒める

1582『三職推任』武田を滅ぼした春、朝廷が「太政大臣か関白か将軍か」と持ちかける。返事をしないまま

1582『本能寺の変』全軍が遠くにいて、京の近くに軍を持つのは光秀だけ。一度目で殺された。遺体は出なかった

1582『山崎の戦い・清洲会議・葬儀』光秀は11日で討たれ、秀吉が香木の像で葬儀を仕切る。同じ年、ローマで暦から10日が消えた

1583『織田家が食われる』勝家とお市が北ノ庄で自害。三男は野間で自害。孫の秀信は関ヶ原で城を一日で失う

1611『甫庵信長記』脚色の本が板で刷られて広まる。牛一の本は読まれなかった

1712『読史余論』儒者・新井白石が「天性残忍」と書く

1869『建勲神社』明治天皇が勤王の功で神社を建てる。信長は神になった

1954〜73『革新者』山岡荘八・司馬遼太郎の小説と大河が「古い秩序を壊した革新者」にする

1983〜『魔王』『信長の野望』『戦国BASARA』で「第六天魔王」が定着

2012〜『見直し』21世紀の研究は「思ったより伝統的」。壊したのは敵対した勢力で、仕組みは壊していない

2026『豊臣兄弟!』大河で小栗旬が演じる。像はまだ作り替えられている


▼ 諸説・補足(本編では通説を一つに絞って語りました。割れている所はこちらに)
・信長の生まれた城:勝幡城が有力(那古野城とする説も)
・「うつけ」:『信長公記』は奇行と鍛錬の両方を書く。演技だったと断定はできない
・平手政秀の死:『信長公記』は馬の恨み。諫めるための死とする話は後の美談
・道三が富田で信長を見た話:『信長公記』首巻の伝聞で後の脚色の可能性あり
・弟・信勝を殺した年:1557年(1558年とする説あり)
・桶狭間の兵数:『信長公記』は今川4万5千、通説2万〜2万5千。勝因は分かっていない。古戦場は名古屋市緑区と豊明市の2か所が主張
・家康との同盟の年:1562年が通説(1561年の和睦→1567年の縁組とする説も)
・岐阜の名づけ:沢彦が「岐山・岐陽・岐阜」を出した話は『安土創業録』。禅僧が先に使っていたとする説も
・「天下布武」の天下:畿内説が近年有力。反論もある
・光秀が義昭と信長を仲介したか:『細川家記』由来。近年は再検討中
・殿中御掟・五箇条の条書:将軍の権限を奪ったと読む研究と、義昭から信長へ任せた合意(連合政権)と読む研究がある
・宣教師を保護した理由:仏教勢力への対抗・南蛮貿易(硝石)・好奇心。説が分かれる
・浅井長政が裏切った理由:朝倉との旧縁・「朝倉を攻めない」約束違反(後世の軍記)・父たち家中の意向
・金ヶ崎のしんがり:通説は秀吉。主将は池田勝正で秀吉・光秀が加わったとする説が有力。お市の「小豆の袋」は『朝倉家記』由来の作り話
・姉川の兵数:織田2万3千+徳川5千、浅井8千+朝倉8千〜1万が通り相場
・比叡山の死者:『信長公記』数千、『言継卿記』3千〜4千、フロイス約1500。発掘では焼けたと言えるのは根本中堂と大講堂のみ(調査範囲は限られる)
・サン・バルテルミの死者:パリで数千、国全体で5千〜3万
・三方ヶ原の武田の兵:2万超と伝わる。信玄の「死を3年伏せよ」は『甲陽軍鑑』
・髑髏の盃:『信長公記』は「薄濃にして肴に飾った」。盃にして飲んだは『浅井三代記』以降の作り話
・越前の死者:処刑1万2千以上。3万〜4万が奴隷として送られたという記述もある
・長篠の兵数:織田・徳川3万8千 vs 武田1万5千が通説。少なく見る研究も。勝頼が正面決戦を選んだ理由は諸説
・硝石:布教の許可と引き換えに手に入れたとする説は間接的
・安土城の階数:五重六階地下一階(五層七重とも)
・松永久秀の享年:68〜70で割れる。荒木村重が背いた理由は分かっていない。処刑の人数は史料で揺れる(122/124、512/514)
・三職推任:朝廷が言い出したか信長側かは論争中
・家康の饗応:光秀が腐った魚を出して解任されたという話は『川角太閤記』の作り話
・本能寺の供の数:『信長公記』は小姓二、三十人、『当代記』は百五、六十騎
・光秀の句「ときは今 あめが下しる 五月かな」:謀反の決意と読む説のほか、原本は「天が下なる」で改竄されたとする説、まだ決めていなかったとする説
・本能寺の動機:四国説が近年最有力。怨恨説は後世史料由来、野望説は変後の無策が弱点、黒幕説に決定的な証拠はない
・安土城が焼けた原因:信雄の放火・明智秀満・野盗・落雷など諸説
・清洲会議:「勝家が信孝を推し、秀吉が三法師を抱いて現れた」は『川角太閤記』の作り話とする説
・信孝の辞世「報いを待てや羽柴筑前」:と伝わる
・「一度目には戻る道を出す。それでも背いた相手に、線を引く」:この動画の見方です

▼ 今も残っているもの
・岐阜という県の名前…信長が付けたと伝わります(坊さんたちが先という説も)
・名古屋の町…1610年、家康が清洲の町を丸ごと移した「清洲越し」。信長の城下町は家康が引っ越させました
・大徳寺総見院の信長像…遺体が無いので香木で二体作り、一体を火葬。もう一体とされる座像が残っています
・建勲神社(京都・船岡山)…1869年、明治天皇の宣下で建てられた「神になった信長」
・『信長公記』…家臣の太田牛一が「嘘を書いたら神罰」と誓って書いた本。江戸では読まれず、脚色の本が像を作りました
・「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」…信長の言葉ではなく、江戸後期のお殿様の随筆『甲子夜話』の句
・「敵は本能寺にあり」…その夜には誰も言っていない後世の言葉(1641年『織田信長譜』から)
・あなたのスマホの暦…本能寺の約4か月後、ローマで直された暦の上にあります

▼ 登場人物
・フクラテス :歴史まとめ図書館の館長。ふくろう。落ち着いて解説する役
・メモル :館長の秘書。ねずみ。時代の現場に入り込んで、下っぱの家来として働きながら記録を取る役

▼ 参考文献
・太田牛一『信長公記』(角川ソフィア文庫・現代語訳)
・池上裕子『織田信長』(吉川弘文館)
・神田千里『織田信長』(ちくま新書)
・金子拓『織田信長〈天下人〉の実像』(講談社現代新書)
・藤本正行『信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学』(講談社学術文庫)
・鈴木眞哉『鉄砲と日本人』(ちくま学芸文庫)
・谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(吉川弘文館)
・松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史』(中公文庫)
・柴裕之『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦』(戎光祥出版)
・平井上総『兵農分離はあったのか』(平凡社)
・岐阜市歴史博物館「楽市楽座制札」/安土城考古博物館「安土山下町中掟書」/林原美術館「石谷家文書」/福知山市「光秀ミュージアム」

あらゆる歴史を、1本ずつ、丁寧にまとめて棚に並べていくチャンネルです。


#織田信長 #本能寺の変 #戦国時代 #桶狭間の戦い #長篠の戦い #明智光秀 #豊臣兄弟 #日本史 #歴史 #歴史解説 #歴史まとめ