1984年、岩手県普代村に、高さ15.5メートルの水門が完成しました。
「本当に必要なのか」と反対された水門は、27年後の東日本大震災で、津波に越えられながらも村の家を一軒も流させませんでした。
なぜ村長・和村幸得は、15.5メートルという高さを最後まで譲らなかったのか。明治の津波から順に、記録と数字で確かめます。
▼チャプター
0:00 はじめに
0:51 439人の村は、どこにある?
2:11 青年は何を見たのか
3:14 最初の壁は、なぜ漁港だったのか
4:15 誰が、何に反対したのか
5:37 1984年、何ができたのか
6:48 2011年3月11日、何が起きたか
8:54 なぜ15.5メートルだったのか
10:35 15.5メートルとは何だったのか
▼この動画で使った数字(主な出典)
・明治29年302人・昭和8年137人(あわせて439人):普代村『普代村東日本大震災記録誌』
・和村幸得の経歴・退任のことば:岩手県立図書館「いわて復興偉人伝 和村幸得」(原典『広報ふだい』昭和62年5月号)
・普代水門(高さ15.5m・長さ205m・1972年着工・1984年完成・総工費35億6千万円):岩手県立図書館/国土交通省東北地方整備局「普代水門」
・太田名部防潮堤(1962〜1967年・高さ15.5m・長さ155m・5,837万円):普代村『広報ふだい』(2011年3月)/東北地方整備局
・土地収用の手続き(1980年):国立公文書館(建設省告示第1334号)
・扉の構造・設計で見込んだ波21.6m・岸の山の跡22m:設計者(東京建設コンサルタント)の公開資料
・2011年の時刻・閉鎖の経緯:消防白書(平成23年)・普代村広報・東北地方整備局・三陸防災復興プロジェクト2019
・太田名部の津波の跡8.9m・越流なし:岩手県「太田名部海岸 被害状況等説明図」
・水門に来た津波 約20m:東北地方整備局・岩手県(資料により約20〜26.6mと幅があります)
・田老の防潮堤10m(1958年)・津波の跡16.3m:岩手県
・国の新しい考え方(2011年9月):中央防災会議 専門調査会 報告
・漁港7か所・船538/603隻・漁業被害36億円・行方不明1人・村外で7人:普代村(2022)/普代村東日本大震災記録誌
・消防団員254人:消防白書(平成24年)
・顕彰碑と村民の寄付約90万円:岩手日報(2012)/東北地方整備局
・人の言葉:日本経済新聞(2011年4月)、読売新聞(2011年)、AP通信(2011年5月・英語報道より訳)、いわて医師協だより、三陸防災復興プロジェクト2019
▼数字の扱いについて
・「明治の津波は15m」は村に残る言い伝え/記録の一つです。明治の遡上高を18m余りとする記録もあります。
・「犠牲者ゼロの村」と言われることがありますが、村内の死者は0、行方不明1人、村民7人が村の外で亡くなっています。
・普代水門は津波に越えられています。国と県は「素早く高台に避難することこそが重要」と書いています。
▼写真・地図
国土地理院(地理院タイル:全国最新写真・空中写真1974〜78年・東日本大震災後正射画像・色別標高図)を加工
素材:Openclipart(CC0)/ICOOON MONO/フォント:Zen Old Mincho・しっぽり明朝・BIZ UDPゴシック(OFL)
一部の場面(村の暮らし・人物・過去の出来事)はAIで描いた挿絵です。画面右下に「挿絵(AI・イメージ)」と表示しています。実在の人物の似顔ではなく、水門・防潮堤の形も実物とは異なります
※ナレーションはAI音声です。一部の場面はAIで描いた挿絵です(実在の人物の似顔ではありません)。写真・地図・数字は実資料にもとづき、台本・検算・図解は制作者が作成しています。
#国土列伝
1984年、岩手県普代村に、高さ15.5メートルの水門が完成しました。
「本当に必要なのか」と反対された水門は、27年後の東日本大震災で、津波に越えられながらも村の家を一軒も流させませんでした。
なぜ村長・和村幸得は、15.5メートルという高さを最後まで譲らなかったのか。明治の津波から順に、記録と数字で確かめます。
▼チャプター
0:00 はじめに
0:51 439人の村は、どこにある?
2:11 青年は何を見たのか
3:14 最初の壁は、なぜ漁港だったのか
4:15 誰が、何に反対したのか
5:37 1984年、何ができたのか
6:48 2011年3月11日、何が起きたか
8:54 なぜ15.5メートルだったのか
10:35 15.5メートルとは何だったのか
▼この動画で使った数字(主な出典)
・明治29年302人・昭和8年137人(あわせて439人):普代村『普代村東日本大震災記録誌』
・和村幸得の経歴・退任のことば:岩手県立図書館「いわて復興偉人伝 和村幸得」(原典『広報ふだい』昭和62年5月号)
・普代水門(高さ15.5m・長さ205m・1972年着工・1984年完成・総工費35億6千万円):岩手県立図書館/国土交通省東北地方整備局「普代水門」
・太田名部防潮堤(1962〜1967年・高さ15.5m・長さ155m・5,837万円):普代村『広報ふだい』(2011年3月)/東北地方整備局
・土地収用の手続き(1980年):国立公文書館(建設省告示第1334号)
・扉の構造・設計で見込んだ波21.6m・岸の山の跡22m:設計者(東京建設コンサルタント)の公開資料
・2011年の時刻・閉鎖の経緯:消防白書(平成23年)・普代村広報・東北地方整備局・三陸防災復興プロジェクト2019
・太田名部の津波の跡8.9m・越流なし:岩手県「太田名部海岸 被害状況等説明図」
・水門に来た津波 約20m:東北地方整備局・岩手県(資料により約20〜26.6mと幅があります)
・田老の防潮堤10m(1958年)・津波の跡16.3m:岩手県
・国の新しい考え方(2011年9月):中央防災会議 専門調査会 報告
・漁港7か所・船538/603隻・漁業被害36億円・行方不明1人・村外で7人:普代村(2022)/普代村東日本大震災記録誌
・消防団員254人:消防白書(平成24年)
・顕彰碑と村民の寄付約90万円:岩手日報(2012)/東北地方整備局
・人の言葉:日本経済新聞(2011年4月)、読売新聞(2011年)、AP通信(2011年5月・英語報道より訳)、いわて医師協だより、三陸防災復興プロジェクト2019
▼数字の扱いについて
・「明治の津波は15m」は村に残る言い伝え/記録の一つです。明治の遡上高を18m余りとする記録もあります。
・「犠牲者ゼロの村」と言われることがありますが、村内の死者は0、行方不明1人、村民7人が村の外で亡くなっています。
・普代水門は津波に越えられています。国と県は「素早く高台に避難することこそが重要」と書いています。
▼写真・地図
国土地理院(地理院タイル:全国最新写真・空中写真1974〜78年・東日本大震災後正射画像・色別標高図)を加工
素材:Openclipart(CC0)/ICOOON MONO/フォント:Zen Old Mincho・しっぽり明朝・BIZ UDPゴシック(OFL)
一部の場面(村の暮らし・人物・過去の出来事)はAIで描いた挿絵です。画面右下に「挿絵(AI・イメージ)」と表示しています。実在の人物の似顔ではなく、水門・防潮堤の形も実物とは異なります
※ナレーションはAI音声です。一部の場面はAIで描いた挿絵です(実在の人物の似顔ではありません)。写真・地図・数字は実資料にもとづき、台本・検算・図解は制作者が作成しています。
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